牛丼チェーン店のバイトは体だけでなく心もつらかったです

自宅から近いというだけで、ある牛丼チェーン店のバイトをしていました。
アルバイト経験が無く、全くの素人でした。
面接はすんなり合格し、次の日から出勤しました。

まず最初に驚いたのは、1分たりとも働いていないのに、作業用の靴を2500円で買わされると言われたことでした。
新品が届くまで、ボロボロの誰が履いたかも分からないお古の靴を履かされるのも苦痛でした。

手始めに、研修のビデオを1時間程見て、店舗の作業は、写真付きのマニュアルがあるからと言われました。
研修ノートも毎回記入し、その日の勤務時間帯の責任者に捺印をもらうようとのことでした。

しかし、実際働いてみると、時間帯責任者というよりも、店舗に居る全ての人がフル回転で、最小人数で店を回している状態でした。

新人なので、せめて洗い物でもと思いましたが、「洗い物よりオーダー!」と怒鳴られ、見よう見まねで接客していました。
マニュアルを読んでる暇なんてありません。
とにかく注文を取り、牛丼を運び、丼を片付ける数日間でした。

1週間が経ち、面接以来、久々に顔を合わせた店長に、「研修ノート書いてる?」と聞かれましたが、それどころではない状況と説明しました。
店長はムッとして、「そんなんじゃ、いつまで経っても見習いの時給だよ?」と言いました。
こちらも言いたいことはありましたが、一応、「すみません。」と謝って、研修ノートは早目に出勤して前日習ったことを書き、時間帯責任者に捺印をもらうようにしました。

だんだん慣れてきて、私よりも後にアルバイトの女性も入って、少し人数的にラクになってきたなと思ったら、その女性アルバイトが無断欠勤した日がありました。

ある土曜日、朝7時に出勤し、9時に女性アルバイトが来たら休憩となる予定が、連絡も無いまま出勤せず。
店長と二人きりのまま、お昼の時間帯に突入しました。

店長に、「とにかく注文、品出し、片付け!」と、デジャブのように怒鳴られ、すり足で店内を走る、走る。
店長は、調理しながらドライブスルー対応と洗い物。
一瞬、「この人、神だわ!」とも思いました。
お昼の時間帯を瀕死状態になりながらしのいだ時は、店長と握手してしまいました。

こんな達成感がその後も続けば、もしかしたら、まだアルバイトを続けていたかもしれません。
でも、こういうのって、そんなには無いですよね。

店長は、他店が人手不足の時は応援に行ってしまうので、普段はアルバイト歴の長い人が時間帯責任者となります。
酷いのは、大学生のアルバイトが時間帯責任者になった時です。

自分の大学の仲間を呼んで、メニューに無いトッピングを付けたい放題で、未成年と思われるのにビールを出す始末。
オーダーを受けても、出来上がった物と全く違うので、誰に何を出したらいいか分かりません。

そのうち、時間帯責任者の大学生アルバイトが、仲間にメニューに無い物を振る舞いたいが為に、「休憩、長めに行ってきていいよ。」と言い出します。
戸惑いながらも、「早く!」と急かされるので休憩に行かなければなりませんでした。
ドア一枚隔てて、どんちゃん騒ぎが始まった店内。
他のお客様は、呆れてそそくさと帰って行かれました。

1杯数百円、利益何十円であろう牛丼。
時間帯責任者とはいえ、アルバイトにこんなことをされてるなんて、店長は想像もしていないでしょう。
平たく言えば、業務上横領じゃ?なんて思ったりしました。

「これじゃ頑張っても時給は上がらないな」と悟り、アルバイトは半年で辞めました。
店長は、「せっかく慣れてきたのに。」と引き止めてくれましたが、あの大学生アルバイトには辟易してしまいました。

体を動かし、ヘトヘトになりながらも何となく心地よい充実感とか、仕事終わりに食べる牛丼が物凄く美味しいとか、仕事自体は楽しかった気がします。

でも、お金を稼ぐということや、社会の一員であるという基本的なことを忘れたお子さまにゲンナリしてしまいました。

ブラックビター企業からマイルドな生活に戻してくれたのは大切な人。

私は、3年前まで某地方のFMラジオ局に勤めていました。
私の仕事は主に番組制作と音響技術の仕事でした。
番組制作という響きを聞くと憧れの眼差しを向ける方もいるかもしれませんが、、
これがまぁ、控えめに言ってブラック企業でございまして。
私は朝の番組を担当していたので、朝7時に出社、それから様々な番組の音響技術、
次の日の番組制作、また別の番組の取材同行、また音響技術と、、、
気がついたら日付を跨いでいるなんてこともザラでございました。

地方のラジオ局というものは、テレビ局などに比べてとにかくお金がないんです!
だから人員もとにかく少ない!一人で全てこなさなければいけないわけです。
ちなみに、、上に書いたスケジュールというのは、あくまでも「普通の日々」
これが俗にいう繁忙期ともなりますと、
家に帰ることのできない日も出てきます。

ちなみに私は入社当時結婚したばかり。
これが、ビターブラック企業に入社して半年で破綻!見事に奥様が実家に帰りました。
しかし、そんなことに後ろ髪引かれている暇もない!
涙が眼球を潤わせたや否や、次の仕事がやってきて、いつの間にか眼球は乾き、
その水分は冷や汗に変わって背中をつたうのでした。
とまぁ、ここまでの所謂勤務時間的ブラック企業の話ならよくある話。
私も、メディア業界の勤務時間など心得て就職しておりますから、
こんなことでは「辞めたい・・・」なんて思いませんわ!
ここからが、漆黒企業の本気の見せ所。

上司の「パワハラ」の登場です。
しかしまぁ、このパワハラと一口に言いましても、
ピンからキリまで、またバリエーションも様々ありわけですが、
お陰様で、パワハラのコンプリートさせて頂いたのではないかと自負しております。
まず、言葉の暴力なんて当たり前。
人格否定・責任転嫁・執拗な電話攻撃・罵倒・中傷・etc,,,

そして、次のステージへ。
そう、「言葉の」が取れた、ただの「暴力」です。
これはいたってシンプルですね。
痛い。
誰も使わない応接室に閉じ込めて・・・痛いっ。
誰も助けに来ない。
応接室から出てきたときに、申し訳程度に聞かれる、
別の上司の「大丈夫?何かあった?」
「大丈夫です・・・」
としか答えようがない!

THE・地獄ですな。

というか、このパワハラ、
多分元気なときに受けてれば、こちらも「暴力されましたっ!私は(上司を)訴えます!!!」的な行動も取れたんでしょうが、
何せ、前述の通り、睡眠不足と過労で正気を吸い取られているわけです。
これが素晴らしいマイナス・スパイラルとなって何も抵抗できない。
ひいては、会社を辞める気力すら起きない状態に陥るわけです。
怖いですねーブラック×ブラック企業は。
気がつけば、こう思うのですよ。
「自分が我慢すれば、面倒なことは何も起こらない」
こうなったら最後です。
私は目が醒めるまでに5年かかりました。

さて、何故目が醒めることができたか。
それは、私には恋人の存在がありました。
同僚でもあった恋人が私よりも先に会社を辞めることを決断しました。
もちろん、男性と女性の違いはありますが、
それでも一般企業と比べれば、ドス黒い勤務体系をしていた恋人も、
常に会社を辞めるかどうかを悩んでいました。

しかし、私よりも意志の強い恋人はそそくさと判断し、
会社に辞表を提出したのでした。
その女だけど男らしい!素敵な兄貴的恋人の行動を見て、
私も金魚の糞同然に、辞表を提出し、
この「クソブラック企業が!」という言葉を胸に、
会社と決別することができたのでした。

やはり、人は人生において
自分でダメだとわかっていても、自分だけではどうしようもつかないことがあります。
自殺をしたり、悪いことに逃げたりすることも。
周りの大切な繋がりだけは失ってはいけないのだと改めて勉強になりました。

このままでは卒業できない!学生バイトにシフトを入れすぎるバイト先

まだ大学生だった頃、ラーメン屋さんでホールスタッフのバイトを週3・4でしていました。同じくらいの年代の人が多くて、社員の方も優しくて面白い方が多く、比較的フレンドリーなバイト先だったと思います。そう、最初は。
そのバイト先で組まれるシフトは3種類で、早番が開店準備も含めて10時から14時までのランチタイム、中番が12時から17時までのランチタイムからディナータイム、そして遅番が17時から23時の締め作業があるシフトでした。

学生が多かったので、もちろん人気のあるのは夜の時間帯でした。授業がない時間帯でもありますし、22時を過ぎれば特別手当もあり、賄いも豪華だったのも理由だったと思います。ですが当然その時間帯に全員がバイトに入れることはなく、昼間の時間帯に入る日もあれば夜の時間帯に入る日もあったりとまちまちでしたね。
そんなバイト生活も1年を経った頃、同じバイト先の先輩達が大学や専門学校を卒業し、バイトも卒業することになったのです。当時、学生バイトは私を含めて10名いたのですが、その先輩達が抜けてしまうと残るのはなんと5人。

さすがに少なくなりすぎだとは思ったのですが、社員の方もきっと春に向けて新しいバイトを入れてくれるだろうと考えていたのです。ですが、春になっても夏になっても一向に新しいバイトは増える兆しがありません。それどころか、以前まで張ってあったバイト募集の張り紙も無くなっていたのです。
そこで「何故バイトを増やさないのか」と直談判したところ「今までは大人数で店を回してきたけれど、新しいバイトを教育するのにも時間がかかるのでもう育っている子達だけでお店を回そうと思っている」とのこと。

今は良いとしても、私達が卒業する頃には誰が残るのかと驚いてしまいましたね。確かに飲食店のスタッフはメニューを1から覚えないといけなかったり、レジの打ち方を覚えたり、そのバイト先の決まりなどたくさんのことを学ばなければいけません。ですが、それは誰もが通る道ですしもったいないものではないと思ったのです。何よりこれから私達のシフトはどうなるのかというのが1番の不安でした。
そんな私の不安も的中し、先輩達が最後のバイトを終えた翌月には今までの倍のシフトが組まれていました。

遅番が入っていた翌日に早番が続いていたり、土日の授業がない日には1日に早番と遅番が組まれていたり、10時から17時までの新しいシフトが組まれたりもしていました。せめてもの心遣いなのか授業のある日には早番と中番がないようにはされていたのですが、他の子は授業のある日も組まれていることもありましたね。
実際にそのシフト通りに働いてみると、想像通りに身体的にも精神的にも辛かったですね。授業の予習やレポートなどの提出物もあるので、バイト先の休憩室で空き時間に行ったり、授業中に居眠りをしてしまったり、朝起きるとバイトの時間で急いで行かなくてはいけなかったりと疲労もストレスも限界でした。

そんな生活をしていると、もちろん授業も寝坊してしまったり、授業に出たとしても内容が頭に入ってこないことも多かったです。もちろん成績は落ちてしまいますし、単位に必要な出席日数もギリギリでした。
「もう耐えられない。なんで学生なのにこんな生活をしないといけないのか。」と我慢の限界が来てしまった私はついに辞めることを社員に伝えました。

すると言われたのが「他の子が困るのに可哀想と思わないのか」というものでした。最初は何を言っているのか理解できませんでしたね。

自分達が勝手にバイトの採用を止めて、無理なシフトを組んでいるのに何故私が悪者になるのかと納得が行きませんでした。ここまで頑張ってきたのに何故責められるのか、自分達には何も悪いと思っていないのか、こんなところにもういたくないと思い、そのまま泣きながら帰りましたね。
それから両親に連絡をして、バイト先で起こっていることを話すと父からバイト先に連絡をしてくれました。

すると「学校が優先なのでもし両立が辛かったら辞めてもらっても良い」と言われたとのこと。大人と子供ではあまりにも言っていることやすることが違っていて腹が立ちました。

もうあんなバイト先では働きたくないですね。

仕事内容以上にバイトの先輩の一言に驚愕・・・すぐやめたった!

あれは私が大学1年生になって、学校にも少し慣れてきた夏休み前のことでした。大学生は夏休みが超大型の休みということで、夏休みの間はたくさん遊べるようにお金を貯めようと思って、アルバイトを始めてみようと面接を受けたのです。最初は短期集中型のバイトにしようかと思ったのですが、慣れたらしばらく同じバイトを継続したかったこともあり、選んだのは居酒屋のアルバイトでした。ここで少し先走ったかなという感はありましたが(笑)
面接の時に、「今働いている子たちはみんな優しい子ばっかりだから、しっかり丁寧に教えてくれるし、初心者でも大丈夫。長く続けてね」と言ったのが、その店のマネージャーをしていた40代の女性でした。
もちろん、居酒屋なので夜は遅めでしたが、まかないもつけてくれるということで、ご飯代が浮くぞっと心の中でガッツポーズしながら、意気揚々とバイトに向かったのです。
当然のことながら、最初はみんな丁寧にあいさつをしてくれました。何歳で、どこの学校・専門・フリーターなど、身分の紹介などをしてくれました。年下はその時おらず、私が一番下で、ほかのメンバーはみんな年上でした。アルバイトは全員で10人ちょっとだったかな?男女の比率で言うと、7:3ぐらいの割合でした。
いざ仕事が始まると、やはり居酒屋さんだけあって、ハードな印象そのままでした。そこは1階はカウンター、2階はボックス席、3階が大広間の宴会場という構造で、1階は女性マネージャーとバイトのベテラン、2階、3階を他のアルバイトで回すような感じです。基本最初は2階から接客を始めていきます。慣れたり、仕事内容を覚えたりするためなのです。料理は調理場が作るのですが、なぜかドリンクはフロアのバイトが作るというシステムだったため、注文を取ったり、ドリンクを作ったりといった練習が必要になるわけです。
そして3階の宴会場は予約制で、鍋やらオードブルやらの準備から、追加料理の提供、ドリンクオーダーまでこなさないといけない大変なフロアです。なぜか私が2階のフロアを担当したのは最初の1週間だけ。そこからずっと3階の宴会スペースばっかりに回されました。先輩たちは、「3階を回せるようになったら2階なんて余裕になるし、1階に下りれば時給があるよ!」などと言いながら、ろくに作業やコツも教えないまま、私を3階に残して2階に下りていくのです。
ここからは地獄でした。まず予約の団体ということで、ドリンクの注文はひっきりなしに来ますし、そんな状況の中で、厨房から上がってくる料理を提供しないといけない。グラスが足りなくなると自分で洗わないと誰も洗ってくれない。実質まかないを食べる時間なんて20分もない。(しかも残すと厨房の人に怒られる)
まぁ百歩譲って、それを回せれないと、ダメってのはわかるのですが、入って1週間しか経ってないのに、即一人ボッチ。しかもそれがバイトに入る時毎回です。でも、ここでやめたらなんかシャクだし、がんばろうかなと思っていたのですが、ある時、同じように準備に追われていた時でした。2階へ足りないものを取りに行ったときに先輩たちが喋っているのを聞いてしまったのです。
「今度の新人はマジでバカだよ!ほんとに一人でがんばってくれちゃってるよ。2階結構暇なのになwどうせ1階(女性マネージャー)にはわかんないし、このまま上手にやってくれたら楽でいいね~」
そういいながら何人かの先輩たちが笑って喋っていたのです。さすがにこれを聞いたときは怒りを通り越して、体の力が一気に抜けました。まぁその日の宴会はまだ始まってもいないので、回さないといけないし、怒っている暇もなかったのですが、家に帰って冷静に考えると、
「いやいや、あんたらのために働いてるわけじゃない!」
と思って、次の日バイト入ってましたが、連絡もせずに、行ってやりませんでした。そこから電話が鳴っても出ずに、それっきりです。
今考えると、甘ちゃんで幼稚だったかなとも思いますが、知らない人間を騙して、一生懸命を笑うというのはやっぱり許せないなと思う今日この頃ですが、みなさんはどう思われますか?

今でも思い出すと寒気のする精神的にダメージを受けたブラックバイト

高校3年生の頃、近所の居酒屋でバイトをしていました。心も体もボロボロになり、かなりのブラックバイトで3ヶ月ほどで辞めました。たった3ヶ月でしたが、私の中では3年のような日々でした。寿命が縮んだのではないかと思うほどでした。

どんなバイト先だったのか簡単に言うと、店長がかなりのぶっ飛んだ人でした。その居酒屋はチェーン店で、他の店舗の店長は普通の人なのに、運悪くぶっ飛んだ店長の元で働くことになりました。

他のバイトの先輩達は優しい人ばっかりで、それだけは救いでした。

まず何がぶっ飛んでいるのかと言うと、店長としての能力がありませんでした。初出勤の時に適当に説明だけされて、そのまま私一人で接客をさせました。何が何か分からずあたふたしていても、助けてくれるわけでもなく、お客さんに怒られようが見て見ぬふりでした。他の先輩社員の人が一緒に謝ってくれたりという状況が当たり前でした。

そして機嫌の上がり下がりが尋常じゃなかったです。店が忙しくなると機嫌が悪くなり、まず先輩社員に八つ当たりをします。それでも怒りがおさまらないと私にも暴言を吐いてきました。私のミスじゃなくても、お前以外に誰がいるんだと勝手に犯人扱いをされ、また暴言を吐かれたりしました。

バイトのことを奴隷のようにしか考えておらず、私が入って少しすると売り上げが悪く、人件費を削減するためにと、一応シフトはあるけど店長から電話がこなければ出勤しないという訳のわからない体制になりました。今日は出勤しなくていいよと言われた日でも、忙しくなれば電話で呼び出されることもありました。

ぶっ飛んでいる店長は法律を違反していても、何が悪いんだと言って高校生のバイト達を夜中まで働かせていました。今日は延長できないと言うと、鬼のような形相でにらまれました。テスト期間中であろうが融通は通らず、私達の意思は全て無視されました。

タイムカードはなく、ノートに書く方式でした。何分単位ではくれないので40分延長したとしても、それはただのタダ働きでした。辞める月の給料はいまだに受け取っていません。店長に会わないですむのなら給料くらいもらわなくてもと考えていました。

親にも辞めなさいと言われ、恐くて辞めると言えないと言うと親が直接店長に言いに行くと言うくらい、その時の私はボロボロだったのだと思います。

店長から電話がくると吐き気が止まらず、手の震えも止まりませんでした。電話を無視してバイトから逃げることもできましたが、近所の居酒屋だったので道で遭遇することを想像すると恐かったので、耐えました。

大学生の入学を機に、遠いからという理由で辞めました。辞めてからも居酒屋付近の道を歩くだけで吐き気が止まりませんでした。

私が辞めてしばらくして、閉店したという噂を聞いてやっと解放された気分になりました。ざまあみろと思いました。

最近ニュースでブラックバイトのことが取り上げられていますが、まさしくそのものだったと思います。暴言に無理な労働にブラックバイトの模範的な例でした。私が女だったからまだましだったのかもしれませんが、男だったら暴力もあったかもしれません。

あんなに人として最悪な人は初めて見ました。心も体もボロボロになりましたが、いい経験をしたと思います。社会人になって社会の荒波にももまれましたが、ブラックバイトの方がつらかったので続けられました。

ぶっ飛んだ上司の下で働いている人はきっといっぱいいると思います。ブラックバイト経験者として、時には逃げることも大事だと言いたいです。

あまり悩みごとのない私がメンタルまでやられたのは初めてだったので、今でも鮮明に覚えています。もし道で店長に会ったらまた吐き気に襲われそうな気がします。こういうことをトラウマというんだなと感じました。

一部上場の大手電機メーカーで経理やってますが辞めたいです

一部上場の大手電機メーカーに勤務している、入社2年目の経理マンです。
就職活動中は「できるだけ大きなメーカーで経理をやりたい」と思っていたので、入社したことを後悔しているわけではありません。

父がメーカー勤務であることもあり、メーカーという業界には親しみがあります。しかし、辞めたいという気持ちは日増しに大きくなっていくばかりです。この記事では、私が会社を辞めたいと思っている理由を4つ挙げて説明します。
1つめは、閉鎖的な環境であることです。私が大企業で働きたいと思った根底には、「多くの人と関わりたい、様々な価値観に触れたい」という考えがあります。

ところが、現在の配属先の工場経理では、世間が驚くほど狭いです。原因としては、(1)製品ごとにカンパニーが分かれており、カンパニーをまたぐ異動が原則ないこと、(2)工場経理においては、公私混同の文化があることが挙げられます。

特に公私混同の文化は前時代的と言っても過言ではないです。上司は部下のプライベートを細かく把握しており、ひどい場合は余暇の過ごし方などに口を出してきます。一度、上司から「お前は恋人がいないから仕事の幅が広がらないんだ」と言われたときには、怒りを通り越して唖然としました。

 
2つめは、業績が極端に悪いことです。内定をもらったとき、私の会社は「業績が安定しており、電機メーカーの勝ち組」と言われていました。私も「入社したら、増収増益でイケイケの決算書を作るんだ」と楽天的に考えていました。

ところが、実際に配属されたのは、何年も赤字を垂れ流している部署でした。どうして撤退しないのか不思議なほどです。実際、「いつ身売りされるかわからない」という不安や、「今後、自部門が利益を出すことはない」という諦めから、職場の雰囲気は重いものでした。そうした環境の中で、意欲的に働くのが難しいと感じるようになりました。

 

3つめは、残業が減って稼げなくなったことです。上記で業績の悪さには触れましたが、それでも即座に辞めようと思わなかったのは、残業代で稼げるというメリットがあったからです。

経理は万年人手不足で、入社したばかりの私でも月に60~90時間ほど残業をしていました。そのため、基本給は22万円くらいでも、額面額は40万円近くありました。

ところが、過労死が重大な社会問題として取り上げられる中で、「残業を減らそう、8時までには帰ろう」という風潮が高まっていきました。その結果、現在では残業時間は月に20時間ほどです。以前ほど稼げなくなったことで、会社に留まりたいというモチベーションは格段に落ちました。

 

4つめは、仕事に対してやりがいを感じないということです。不満な点をもう少し具体的に言うと、

(1)スキルが身につかない

(2)自分で判断を下したり、改善案を提案したりする場面がほぼない

の2点が挙げられます。

まず、スキルが身につかないという点についてですが、現在の仕事は経理マンとしてのステップアップとはほぼ無縁です。

仕事内容は、他の部門から話を聞くこと、それを資料にまとめることがほとんどで、会計基準や各種法律を学ぶことはありません。若手社員の間では、「うちの会社で身に付くのは、どんなに怒鳴られても平常心を保つ鋼のメンタルだけだよ」と言われますが、本当にその通りだと思います。

次に、自分で判断・提案する場面がほぼないということですが、大企業なのである程度は仕方ないと分かっています。しかし、「昔から受け継がれているものが正」、「上司の言うことが正」という雰囲気が根強く、自分で企画したり、人を動かしたりする力が身につかないと感じています。
以上の理由から、いつかは会社を辞めたいと思っています。まだ入社2年目なので、すぐにという訳にはいきませんが、20代のうちに転職したいですね。

同僚・社員・給料~不安と不満で渦巻いた2年間~

過去にした仕事の時の経験談です。

仕事を始めてすぐ、苦手な人ができてしまいました。
好きな人ならまだしも苦手な人…。
それは今の会社の同期の人でした。
最初から少し苦手でした。
彼女は結構ズバズバ言う人でしっかりしてる人でした。
その人と口は全く聞く事がなく、 なんか避けられてる気がしました。
もしかしたら毎度おなじみ(?)の被害妄想かもしれません。
でもやっぱり避けられてる…!様な気がしたのです。
ただ、彼女ばかりも責められず、
自分も苦手オーラを出してしまってたであろうことを反省しています。
私も逆に出されたら嫌な思いするだろうし…。
その人とすれ違うだけでもなんか怖くなってしまいました。
数年前に、ある人からすごく嫌われて泣く泣く仕事を辞めたトラウマが復活してしまいました。
でも、やっぱりここで辞めたら前と同じです。
我慢しなきゃって思いました。
別に常に仕事中も一緒にコミュニケーションとらないといけないって訳でもなかったですし。
でも、毎日毎日確実に、私の精神的苦痛度が増していきつらかったです。

仕事を始めて4ヶ月。もうどうにも嫌で困っていました。
またいつもの辞めたい病でした。慢性といったところでしょうか。
何が嫌なの?とよく聞かれたのですが、即答できないのがまた厄介でした。
仕事は嫌いじゃないのですが、当時私はまだ新人でした。
まだ教えてもらってない仕事が半分以上ありました。ということは、まだ半分以上覚えなきゃいけないことがあるということでした。
う~ん…新卒の社員ならまだしも30過ぎた派遣には荷が重くないか…?少なくとも私には重かったです。
同期との仲が悪いのも嫌で、まあこれは私も悪いです。相変わらずお互い避けてました。
うちの職場は、ベテランの人らが20人ほどおり、ほとんどしゃべったことがありませんでした。これは同期の他の2人も同じです。
あ~息がつまりそうな職場でした。
これプラス、「(他の2人の同期に比べて)仕事が遅い。」と、社員さんが言ってくるのです。
私が仕事が遅いのは事実だし、お給料をもらっている以上、それに見合った仕事をしていなかったら文句を言われて当然なのですが、
私の仕事に対する文句を社員が直接私に言ってこず、教育係の社員(私よりたぶん年下)に全部言いつけ、その人に全部言わせるのです。
また文句だけ言って具体的に言わないみたいで。どの会社もこんなものなのでしょうか?直接かつ具体的に言ってこい!って思いました。

まあ嫌でした。これだけ?って思うかもしれないですが、文ではうまく表せないほどいろいろあるのです。
辞めてまた1から探すのも大変です。年齢とかスキルとか考えたらどう考えてももう仕事がないのはわかっているので、なかなか踏み出せなかったです。
だからといって、あそこでずっと働くなんて考えるだけで気分が悪くなりました。ずっとどころか明日でもめっちゃ嫌なのにです。

そうそう、働く時間がもともと短いから給料も激安だったんです。
フルタイムなのに定時までだと、1日5時間30分しか働けなかったんです。
独身だった私はもっと働いて稼いで貯金をしたかったのです。
日雇いのバイトをしたこともありました。
これもまた劣悪な環境で、泣きたくなりました。こちらの方がもっと給料は安かったです。

仕事が嫌だ。辞めたい、いや辞めても次が見つからない。お金が貯まらない。
これから将来どうやって1人で生きていこう?
飲み会(合コン)とか行かなきゃいかんのかな?婚活とかしないといけないのかな…でも気が進まないな…。

仕事の嫌さと将来に対する不安で、毎日憂鬱な日々を送っていました。
その仕事は、結局2年勤めて辞めました。

パワハラ上司によるありもしない言いがかりで社員絶滅の危機

私が以前働いていた職場は金融関係のお仕事でした。
高校を卒業してすぐに就職した私にとって初めてのお仕事でしたが、とてもやり甲斐を感じられる仕事で
毎日とても楽しく仕事をしていました。もちろんその当時の上司や先輩はみんな良い人ばかり
仕事で辛いこともみんなで乗り越えていけるような素晴らしいチームワークの支店だったのです。

ですが私も仕事になれ、後輩が出来たところに支店長が変わりました。
それから私の職場の地獄の日々は始まったのです。
新しく来た支店長は若手でやり手の方でした。
初めて支店長になってやってきたので空回りが過ぎたのでしょうか。

雰囲気の良かった店から一気に笑顔が消えました。
こういうことってあるのだろうかというくらい、それは過酷な日々でした。
お客様の前では営業スマイルと言うようなものがあるように、みんな作り笑顔で対応はしていましたが
3時になりシャッターが閉まると笑顔は一切ありませんでした。
楽しく笑えるのは外に出てから、先輩達と話すことも減りました。

今まで楽しいと思っていて、この仕事は天職だと思っていたのですが
初めて仕事を辞めたいと思うようになったのです。

その支店長が着任してから、数日はまだその支店長の態度に気付くことは出来ませんでしたが
徐々に無理な注文をつけてくるようになりました。
金融業は取入れと言うような月に何億の定期預金を取り入れるといったような目標があるのですが
明らかに地域には見あわない過酷な目標をたてられ、それに追い込まれる日々。
達成できない時には嫌味というか悪口というか舌打ちと言うかそんなのは当たり前でした。

人口が3000人も満たない小さな町では考えられない目標に
これは無理だと何度言っても、無理なわけがないと一方的に意見は消されてしまいます。
しまいには、仕事中の私語は一切禁止
10秒ほど仕事で考え事をして動きが止まっているだけで「なにサボっているんだ」と言われ
トイレに行けば「用事もないのになんでこんなに時間がかかる」と説教。
仕事中トイレにも行けない、ご飯も食べれないほど職員はみんな追い込まれていました。

トイレに行けずに先輩は膀胱炎になって入院してしまった人もいました。
さらには良い成績を出せないと、「お前は鬱だ!病院へ行け!」と病院へ行かされた主任もいました。

みんな精神的にも、肉体的にも追い込まれてあんなに楽しかった職場は一気に地獄になったのです。
私たちのことは言いたい放題、無理難題を押し付けてくるのですが自分にはとても甘く
支店長のくせに遅刻は当たり前。さらには公用車を使用でも乗りまくる。
そして最終的には朝にいくらたっても出金しなく音沙汰なし、みんなが支店長の携帯に連絡するも一向に出ない
家に行ってもいるような気配はない、お昼頃に出金してきてなんの説明もなし。

自分は好きなように楽しく過ごしているのですが、どれだけ部下が困っているかストレスを抱えているのかは
一切わかっていない人でした。
しばらくして、支店長代理もストレスから仕事を辞めることになり、代理は転勤をお願いして転勤になりました。
残された私は地獄の日々が続いたのですが、そんな時ある事件がおきたのです。

私の後輩が起こしたミス。それも大したミスでもなく、ミスしてなくした書類も実際にあったの問題はないのですが
それをとても大きな事件に騒ぎ立て、しまいにはその責任を私に押し付けてきたのです。
後輩がなくした書類は私がなくしてそれを後輩のせいにしたという、ありもしないことを言われ
最終的にはこれは犯罪だと、親まで職場に呼び出されたのです。
そんなことがこんな大きい会社で起こるなんて本当にビックリしたと同時に責任をなすりつけられ
こんな仕事は二度としたくない、早く辞めたいという気持ちが大きくなりました。
何もしていないことをやったと言われる辛さ、大人の社会ではこんなに理不尽なことが本当に起きるんだと
身をもって知った時に、こんな上司の下では二度と働きたくない、ましてや親まで呼び出せれ迷惑をかけたことに
本当に涙が出ました。
今はもう仕事は辞めていますがそれから働いた職場では、仕事ってこんなに楽で楽しいものなんだと感じることが出来
それもあの地獄の職場・地獄の上司を経験したからなのかもしれません。

本当にあんな最悪な日々は今後二度とないと思います。

会社を辞める理由の一位が人間関係なら会社を続ける理由の一位も人間関係?

会社を辞める理由の第一位に長年君臨するのは人間関係です。
辞める人の8割は上司・同僚との人間関係が壊れて精神的苦痛の為、居心地が悪くなり辞めています。
かくいう私も2年前に上司と会社方針が合わず爆発した経験があります。今日はその時の出来事を記載します。

「上司のやり方が会社の為になっていないので折り合わない」私が会社を辞めたいと思ったのはこの1点が尽きます。
私の場合は、長年のイライラが積り、些細なことがきっかけで噴火・爆発しました。

私は携帯基地局の設備設計の仕事をしていました。キャリアも5年目にさしかかり、設計チームではリーダーとして指揮をし始めたところでした。
その時に、他所の部署からある一人の社員が異動してくると言われました。その人は、今の部署でミスをし、人事異動でこちらに回ってくると言うのです。
所謂左遷です。その男は、会社内でも有名な暴君でした。今までも同期の社員と喧嘩をしたり、気にいった部下にのみ仕事をさせ、目障りな社員や派遣は
簡単に異動・クビにさせてきたらしいです。しかも、気に入った部下には仕事をさせまくってその部下はノイローゼになって何か月か入院したという話を
聞きました。要は容赦ないのです。そんな男が異動してきた当日、異動初日から横柄な態度で現れます。
まるで左遷されてきたというのを隠すように態度で圧力をかけてきました。この部署の仕事はまだ全く分からずの人間で素人同然なのにです。
自分中心の仕事が始まります。まず、コンサルティングチームと設計チームのリーダー的な人間を読んでヒアリングを始めます。
私は設計チームとして参加しました。会議は3時間を超え、仕事内容やこれからの展望、一日のタイムスケジュールなんかも細かに聞かれました。
こんなものは異動してくる前に事前に調べられるものなのにこの方は王様気質なので調べるという行為がめんどくさいようなのです。
その日から毎日ヒヤリングという会議が始まります。おかげで自分の仕事は定時後にやるようになります。設計チームにも仕事の分担などもさせないと
いけないので自分の仕事はどうしても20時過ぎに始めるような生活が続きます。

ヒアリングが落ち着いた時期になると、今度は私たちに何の相談も報告もないまま、「人材を増やす」と言い出します。
簡単に言いますと「増やしました」という事後報告でした。知らない間に面接し、決めていたのです。新人が来るなんて話は当日まで知りませんでした。
当日になり、「あの、今日から新人入れたから教員よろしく、体制強化だ」それだけでした。

そんな非常識なやり方あります?

自分にも本日やるべき仕事があります。全く予定表にない作業と当日の朝に言われ、去っていく上司の後ろ姿を見て初めて殴りかかりそうになりました。
何とか心を落ち着かせ、新人のプロフィールを見ると全くの未経験の人間でした。「簡単に言うなよ」と怒り沸騰で思いましたが、その日の自分の仕事を
後回しにして逆らわず新人に教育を開始しました。自分でもかなり偉いと未だに思います。
その新人は26歳でしたが飲み込みが物凄く悪く、1時間半に一回は会社の中にある喫煙スペースに行き休憩するような人間でした。
面接する方がバカだと送られてくる新人もバカなんだなと改めてこの時思いました。類は友を呼ぶってやつです。
この新人の教育、設計チームの管理、そしてこの上司のヒアリング会議。もう毎日へとへとになり、業績も落ちていきました。
そして、予想通りその業績悪化の責任を私に押し付けられました。しかも会議中にです!!!みんなのいる前でです!!!
その瞬間、頭の中で何か電気信号のようなノイズが走ったのを今でも覚えています。
気づくと私は、会議テーブルを蹴り上げて上司の胸ぐらを掴み、喉輪状態で思いっきり壁に突き飛ばしていました。
その時に我に返りました。目の前には恐怖に怯えた中年の汚らしい顔がそこにありました。
私は本能的に汚いと感じ、喉輪をしていた手を外し、無言でその場を去りました。

後日、専務などに呼ばれて取り調べをされましたが、私に処分はありませんでした。
私は辞める覚悟で専務の部屋に入ったので、その時は何が起こったのかわかりませんでした。
理由を尋ねようかと思いましたが、格好が悪いと思い、礼だけを簡単に言って退室しました。
後で知りましたが、あの場にいた全員を取り調べしたようなのですが、設計チーム等の仲間が私の味方になってくれたみたいです。
それを聞いた後、自分の家でで一人になった時に泣いたのを覚えています。
あの時に味方がいなかったら完全に辞めていたと思っています。
会社を辞める理由の一位が人間関係なら、会社を続ける理由の一位も、もしかしたら人間関係なのかなと思ったりもしました。

最後に新人と上司のその後を書いて終わりにします。
新人は、私の暴動騒ぎが遭った翌日から無断欠勤となり、その3日後に会社を辞めました。
上司は、その1か月後にまた別の部署へと異動になり、また同じようなことを繰り返していると風のウワサで聞きました。